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【後編】村上春樹の好きなところと苦手なところ 相容れない物語性と文学性

こんにちは、カムです。

今回は前回の記事の続きということで、私が思う村上春樹の苦手なところを書いていきたいと思います(好きなところを述べた前回の記事はこちら)。

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主人公の一人語りが長い

村上春樹作品の主人公はよく一人語りをします。

セリフとして語るのではなく、地の文で語るのですが、これがとても長い。物語の筋に関係あるのかないのかよくわからないようなことを、ずっと語っています。内容は人生の哲学だったり、過去の経験だったり、女の子のことだったり、いろいろです。

純文学というジャンルでは、セリフよりも地の文が長いことが多く、その内容も物語に直接関係ないことも珍しくありませんが、村上春樹の場合、この一人語りは余計なつけたしのように私には思えるのですね。

ではなぜ村上作品では主人公の一人語りが浮いてみえるのか、その理由は考えてみると2つあると思いました。

物語がしっかりしているぶん、一人語りのせいで話の脱線を招いている

村上作品はどれも物語がしっかり構築されています。純文学ではストーリー性が皆無で、登場人物の心情を描くことに主眼を置く作品もありますが、村上作品はエンタメ小説として出版できるくらい、ストーリー性が高い特徴があります。

しかし、ストーリー性のある小説の場合、話は円滑に進めていかなければいけません。読者は早く先の展開を知りたいので、不必要な描写やエピソードはなるべく省いたほうが、読むうえでストレスが少ない良質な作品になるはずです。

ところが村上作品では、主人公の一人語りがあるために、物語の進みが停滞します。こっちはワクワクする冒険譚の続きを読みたいのに、肝心の主人公は過去に寝た女の子の話をし始めるという。いや、そんなことはどうでもいいから!他にもっとやることあるじゃん!!って突っ込みたくなるんですよね。

たとえば、私の好きな『羊をめぐる冒険』では、前半のほとんどが女の子の話です。後半からようやく冒険をはじめるのですが、前半で尺を使ったせいか、全体的にどこか軽い印象を受ける物語になってしまっています。前半部分を削り、後半の冒険をもっと膨らませれば、最高の物語になったのになあと、好きな話なだけにちょっと残念でした。

ただ、主人公の一人語りがなくなると、村上作品は純文学ではなく、完全なエンタメ小説になってしまいます。村上作品によく出てくるワードを借りれば、まさに「レーゾンデートル(存在理由)」がなくなってしまう状態。

物語性を重視するのか、文学性を重視するのか、このバランスをとるのは難しいですし好みも入ってくると思いますが、個人的には村上作品の多くはどっちつかずの状態になっている印象を受けます。

ちなみに村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』とその続編『1973年のピンボール』は純粋な文学作品として読むことができるため、物語性と文学性のアンバランスさを感じません。長編作家に移行し、物語性が膨らんだことによって、どっちつかずの状態が生まれたとするなら、ちょっと皮肉な話のように思えますね。

一人語りの内容が抽象的で共感しにくい

村上春樹の主人公の一人語りが浮いてみえるもう1つの理由は、一人語りの内容に共感しにくいことです。主観的であいまいな随想が続くので、主人公が何を考えているのか、いまいちピンときません。

いわゆる「信用できない語り手」のように、キャラ付けとしてそういった一人語りをさせているならいいのですが、村上作品の場合、そういうわけではなく、作者自身の正直な気持ちを語っているようにみえます。それが私にはあまり受け入れられない。随想を書くにしても、もっと読者が理解できるような客観性をもってほしいと思うのは、私のわがままでしょうか。

(村上春樹が群像新人文学賞を受賞したデビュー作。この作品を含め『1973年のピンボール』、『羊をめぐる冒険』の三作品は「鼠三部作」と呼ばれています)

主人公がモテる理由がよくわからない

村上春樹の主人公はとにかくモテます。それも女性に対してアプローチをしたとかそういうシーンがあるわけでもないにもかかわらず、いつのまにか出会ったばかりの女性とベッドインしています。主人公はいつものように仕事をし、お酒を飲み、読書をしているだけなのに。容姿が優れているわけでもなく、人とあまりコミュニケーションをとらず、おもてむき女性に対して情熱を燃やしているわけでもないのにです。

脈絡なく主人公がモテると、都合よすぎじゃ?と思ってしまいます。平凡な主人公なのになぜかモテてしまうハーレム系漫画を読んでいるのに近い感覚。

女好きなのは構わないんですよね。それならそういうキャラとして受け入れられますから。でも村上春樹の主人公はどこか悟った顔をしているくせに、実際の行動は欲にまみれている。ムッツリスケベか!!と突っ込みたくなりますね。

もちろん村上作品のセックスシーンは単なる読者サービスではなく、現実を投影させるための暗喩だとか、そういった機能もあると思うのですが、個人的には苦手です。

終わりに

前回の記事に続き、今回は「村上春樹の苦手なところ」を取り上げました。

村上春樹ほど好きな面と鼻につく面が混在している作家はそういないので、そういった意味でも私にとって村上春樹は特別な作家といえるのかもしれません。

そういえば、何かの漫画で「村上春樹は売れているからそのぶん批判も多い」というようなセリフを見たことがあるんですが、たぶん村上春樹はその例を出す対象としては適切ではないと思うんですよね。村上春樹はクセのある作家なので、売れている以上に批判が多くてもおかしくありませんから。

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