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【紹介・感想】エリアス・カネッティ『猶予された者たち』 人間の卑欲がコミカルタッチで描かれる珠玉の戯曲3編

カムです。

この間、ここ1ヶ月くらい読んでいたエリアス・カネッティ『猶予された者たち』を読み終えました。

実はこの本、かなり積読していました。何年放置してたかわからないくらい。最近は本自体あまり読まなくなっていたのですが、就寝前に少しずつ読書をするスタイルを取り入れてからは、すいすい読めています。

ではさっそく紹介・感想に入りたいと思います。

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死が迫った老婆の「家」を狙う人々の群像劇『結婚式』

ツイッターに書いたとおり、この本には3編の戯曲が収められています。最初の1編が『結婚式』です。

タイトル通り結婚式が舞台の話なのですが、登場人物たちが式と関係のない話ばかりするので、途中で結婚式が舞台ということを忘れてしまいました。

式場はとあるアパート。さまざまな年齢の男女が住んでおり、式に参列する人たちもみんなこのアパートの住人やその関係者です。

結婚式が行われる前にこのアパートの家主と孫娘の会話が「序章」として始まるのですが、これがあまりにもひどい 笑。高齢で加減の悪いお祖母ちゃんに対し、孫娘はお見舞いに来たふりをして、家(アパート)を自分のものにするための言質を取ろうとします。

「ねえ、おばあちゃん、わたしが結婚するとき、もうあんたに見てもらえない、って思うとほんとに心残りだわ。その代り、わたしこの家もらってあげる、ねえ、おばあちゃん、そして、未来のわたしの亭主とわたしは、あんたのことをいつまでも忘れないわ。」(猶予された者たち より 孫娘トーニの台詞)

いや、何が「その代り、わたしこの家もらってあげる」だよ!!笑。

まだお祖母ちゃんは死んでないのに死ぬと決めつけて話を進めているのもひどいですし、「もらってあげる」っていう上から目線なのもやばい 笑。

この台詞を読んだとき、「さすがエリアス・カネッティ…」と舌を巻きました。人間の欲望をここまでストレートに表現してしまう作家は他に知りません。まるでギャグ漫画の世界ですね。

しかもこの孫娘トーニはお祖母ちゃんが飼っている猫やオウムを毒づいたりと、性格の悪さをさらけ出しまくります。こんな孫娘だけは作りたくないものですね。

しかしお祖母ちゃんのほうもそんな孫娘の計略にやすやすとはまるほど甘くはありません。オウムの鳴く声がうるさいのを理由に、孫娘の言っていることが聞こえないと言い張り、その場をうまくごまかします。

私はこのシーンを見て、ゲーム『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面』を思い出しました。『ムジュラの仮面』の舞台の町には孫に対して呆けたふりをし続けるお婆さんがいるのですが、孫に対してしたたかに立ち回る様子がなんとなく似てるな~と思います。

話を戻しますが、老婆の「家」を狙う人間は孫娘だけではありません。多くのアパートの住人は「家」を自分の物にしようと画策しています。

また自分の物にしようとしているのは「家」だけでなく、「異性」も同様です。この戯曲の登場人物たちは見境がありません。相手がすでに婚約・結婚している人であろうと、平気で口説き落とそうとします。しかも年齢層はさまざまで、相手が年端のいかない少女や老人でもお構いなし……この世界にはモラルが感じられず、ただただ正直であけすけな欲望だけが登場人物たちを突き動かしています。

人々の欲望が渦巻くグロテスクな人間劇場……これが一見華やかな「結婚式」の裏で行われるという皮肉。なんとも恐ろしい1編ですね。

ゼルダの伝説 ムジュラの仮面はNPCが独自に行動し、生活している様子を見られるゲームです。NPCの住む町には3日後に落下する月が迫っており、NPCたちは町から逃れるのか、それとも留まるのかのどちらかの選択を取ることになります。月の落下を前にして、絶対的に無力なNPCたちの思いや行動は、じつに「文学的」です。)

鏡のなくなった世界を描く『虚栄の喜劇』

『結婚式』の次にくるのが『虚栄の喜劇』です。

鏡の所有・製造が禁止された世界を舞台にしたSFチックな戯曲で、この世界の人々は自分の容姿を鏡に映し、身なりを整えることができない生活を強いられます。禁止の理由は、鏡は人間が持つ虚栄の元凶だと考えられたからです(なので、タイトルが『虚栄の喜劇』なのですね)。

鏡以外にも自分の容姿を映すものは色々とありますが、この世界ではそれらのすべてを見ることが許されません。たとえば、写真や動画、肖像、透明なガラスなどの鏡と同様の効果を持つ人工物の所有・製造も禁止されていますし、水面などの自然物についても、自分の姿を映してはいけないことになっています。

このように自分の容姿を映す媒体はいくらでもあるので、現実的に違反者をすべて取り締まるのは難しく、登場人物たちはあの手この手で、自分の容姿を何かに映そうとします。誰もいない時に水面に身を映したり、綺麗な目をした女の子の目を覗き込んだり、中には鏡自体をひそかに所有している人物もいます。

人間はたとえ法を破ることになるとしても、虚栄を捨てられないという風刺のきいたテーマが『虚栄の喜劇』にはあります。身だしなみを整えていないと真人間に見られない現代に生きる私たちにとっても、強く心に刺さる1編だと思いました。

寿命が明らかになった新時代の者たちを描く『猶予された者たち』


3番目、トリの戯曲が『猶予された者たち』。この本の表題作となっています。

こちらも『虚栄の喜劇』と同じく、もし世界がこんなだったら?というSF調の話となっています。

この作品の「新時代の者たち」は物心ついた時から自分の寿命を教えられます。というのも、「新時代の者たち」は全員名前に数字がつけられており、その数字が亡くなる時の年齢を示しているのです(八十八歳で亡くなる人は「八十八」という名前がつけられる)。

ただし、亡くなる時の年齢がわかっていたとしても、誕生年月日もわかっていなければ、自分があとどのくらい生きられるのかが計算できません。そのため、「新時代の者たち」は物心ついた時に母親から自分の誕生年月日を教えられ、しっかりと覚え込まされます。そして人々は亡くなる時の年齢は周知させながら(なにしろ名前がそうなので 笑)、自分の誕生年月日を他者に教えるのは「倫理に反する」として、亡くなるまで隠し通しますし、また他者からも聞こうとしません。

「新時代の者たち」の誕生年月日がおおやけになるのは、その人が亡くなった時のみです。人が亡くなると、カプセル師という職業の人がやってきて、「新時代の者たち」全員が生まれた時から肌身離さず首から下げておくことを強制されるカプセルを開きます。カプセルの中にはその所有者の正確な誕生年月日が記されており、カプセル師だけがそれを確認し、おおやけにする儀式を行うことができます。

私は3編の戯曲のうち、この『猶予された者たち』が一番好きだと思いました。文章も他の2編に比べて整理されていて読みやすかったですし(2人の訳者が翻訳しており、『猶予された者たち』と他の2編は訳者が違うことも関係しているのかもしれません)、内容も共感しやすいものでした。

というのは、自分の寿命がわかってるって、いいことももちろんありそうですが、かなり残酷な側面もあると思うからです。たとえば、長寿の人ならいいですが、短命の人は自分の死期がそう遠くないことを若くして感じながら生きていかなければいけない。若いうちに死ぬことが決まっている人が感じる不条理さ、やるせなさは、想像を絶すると思います。

【総評】星新一のショートショートをほうふつとさせる設定の話が多いことに驚きました

最初の『結婚式』は安心と信頼のエリアス・カネッティという話だったのですが、『虚栄の喜劇』と『猶予された者たち』は人間の卑欲を象徴的に描くカネッティならではの物語手法に加え、SFの要素も取り入れていることに驚かされました。

未来的な科学技術こそ登場しないものの、特定の世界を創り出し、そこに生きる人間の感情や行動を実験的に描くさまは、まるで星新一のショートショートを見るかのようです。

ただ、1905年生まれのカネッティは星新一よりも二十年近く早く生まれており、星新一が子供の頃からこれらの戯曲を含む執筆活動を行っています(ただし、『猶予された者たち』は訳者あとがきによれば1952年執筆とのこと)。

両作家が当時お互いの作品を知っていたとは思えませんが(翻訳されてないだろうし)、純文学作家のカネッティがSFの要素を取り入れていたという事実は、私にとって面白い発見でした。

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