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【答え合わせ】日本の文豪クイズ10問【解説】

(筆者:カム)

この記事では、【初級】あなたは何問解ける?日本の文豪クイズ10問で出題したクイズの答え合わせ・解説をしていく。

【初級】あなたは何問解ける?日本の文豪クイズ10問【明治~昭和期】
(筆者カム) 私はクイズというものが好きだ。自分で解くのも好きだが、自分で作った問題を他人に解かせるのは一層楽しい。子供の頃、修学旅行かなにかのバスの中で、レクリエーション係だった私は、クラスのみんなに向けて自作のなぞなぞを出題したも...
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Q:『吾輩は猫である』『こゝろ』などの小説を書いたのは?

A:夏目漱石

本名・夏目金之助。1867年に江戸で生まれ、明治時代に活躍した作家。帝国大学英文科卒。英語が堪能で、英語教師として教鞭を執ったり、英文学者という一面も。病気がちな生涯を送り、一部の著作にはその経験の影響が見られる。1916年に胃潰瘍で永眠。『坊っちゃん』『三四郎』など、著作多数。

Q:『痴人の愛』『細雪』などの小説を書いたのは?

A:谷崎潤一郎

1886年に東京で生まれ、明治末期から昭和期にかけて活躍した作家。東京帝国大学国文科中退。大学在学中から小説執筆、同人雑誌創刊と、幅広く活動。純日本的な文体で、性的なモチーフを描く作風を確立する。ノーベル文学賞の候補に過去複数回選ばれていたことが、読売新聞の取材で判明している。

Q:『羅生門』『蜘蛛の糸』などの小説を書いたのは?

A:芥川龍之介

1892年に東京で生まれ、大正時代に活躍した作家。 東京帝国大学英文科卒。西洋文学に影響を受けた文体を身につけ、『今昔物語集』『宇治拾遺物語』などの古典を下敷きにした短編を多く残す。1927年「唯ぼんやりした不安」から薬物自殺。

Q:『山椒魚』『ジョン萬次郎漂流記』などの小説を書いたのは?

A:井伏鱒二

本名・満寿二。1898年に広島県で生まれ、大正末期から昭和末期まで長期に活躍した作家。早稲田大学仏文科中退。文芸作家だが、1938年に『ジョン萬次郎漂流記』で芥川賞ではなく直木賞を受賞している。また1966年には文化勲章を受けている。中学生の時から画家を目指していたが、兄の勧めで文学に転向した経緯がある。

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Q:『伊豆の踊子』『雪国』などの小説を書いたのは?

A:川端康成

1899年に大阪で生まれ、大正から昭和期にかけて活躍した作家。東京帝国大学国文学科卒。あらゆる日本の伝統的な美を、独自の視点で表現した作品を著した。1968年に日本人初のノーベル文学賞を受賞。1972年、逗子の仕事部屋でガス自殺。

Q:『蟹工船』『党生活者』などの小説を書いたのは?

A:小林多喜二

1903年に秋田県で生まれ、昭和期に活躍した作家。小樽高等商業学校卒。現場労働者の過酷な現実を描く「プロレタリア文学」を著し、並行して左翼運動も行った。後にその著作や運動が警察にマークされ、1933年逮捕後、築地署の拷問で殺害される。

Q:『人間失格』『走れメロス』などの小説を書いたのは?

A:太宰治

本名・津島修治。1909年に青森県で生まれ、昭和期に活躍した作家。 東京帝国大学仏文科中退。度重なる自殺未遂、女性関係を経て、1948年に玉川上水で入水自殺。上記の小説の他にも、『斜陽』『お伽草紙』など、現在でも有名な作品を多く残している。

Q:『山月記』『李陵』などの小説を書いたのは?

A:中島敦

1909年に東京で生まれる。 東京帝国大学文学部国文科卒。生前は『光と風と夢』が芥川賞候補に選ばれた他はほとんど評価されず、1942年に持病の喘息で永眠。死後になって『弟子』『李陵』が発表され、生前に発表された作品とともに評価を高め、日本文学を代表する作家とみなされるようになる。

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Q:『海と毒薬』『沈黙』などの小説を書いたのは?

A:遠藤周作

1923年に東京で生まれ、昭和期に活躍した作家。慶應義塾大学仏文科卒。幼年期を満州で過ごしたのち、日本でカトリックの洗礼を受ける。その経歴から、キリスト教と関係の深い小説を多く著し、欧米でも高い評価を得ている。また歴史小説や戯曲、エッセイなどの作品ものこしている。1995年、文化勲章受章。

Q:『潮騒』『金閣寺』などの小説を書いたのは?

A:三島由紀夫

本名・平岡公威。1925年に東京で生まれ、昭和期に活躍した作家。東京大学法学部法律学科卒。絢爛な文体、構築性の高いプロットで、日本的な美を追求する作品を多く著した。国内に限らず海外で広く読まれ、川端康成、谷崎潤一郎らとともに、過去ノーベル文学賞の候補になっていたことが、読売新聞やNHKの取材で明らかになった。1970年、割腹自殺。

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