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『雨月物語』、シェイクスピアなど…同性愛を描いた文学8選

世界中で同性愛を社会的に認めようとする動きがみられる近年、同性愛を描く物語も増えてきている。

誰もが当たり前に思っている社会の風潮(たとえば同性愛者を劣悪なものとして見ることなど)の意義を問い直し、再評価を促すのが「芸術」の役割の一つとするならば、近年のこの傾向はまさしく「芸術」的な動きといえるだろう。

もっとも、同性愛を描いた物語自体は昔から存在する(そもそも同性愛に対する偏見の度合いは時代や地域によって異なる)。そこで今回は古典から現代文学まで、時代の範囲を問わず、同性愛描写のある文学を8編紹介していく。※古典はネタバレがあります。

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上田秋成『雨月物語』

9編の短編が収められた日本の代表的な古典である『雨月物語』(1776年刊行)には、「菊花の契(菊花の約)」「青頭巾」という作品がある。

「菊花の契(菊花の約)」は義兄弟の契りを交わした武士(兄)と学者(弟)の話。ある日を境に二人は離れ離れになってしまうが、再開を約束した菊の節句(九月九日)に幽霊となった兄が弟の元に現れる。兄はある理由で幽閉されており、約束を果たすために自死し、魂となって遠く離れた弟の家に帰ってきたのだった…というのがあらすじ。

今日ではこの話の武士(兄)と学者(弟)はゲイということになっているが、はっきり「ゲイ」だと思わせる描写は作中にない。義兄弟なのだから男同士でも仲がいいのは当然だし、再開のために自死するという壮絶さも、まあありえないことではないだろう。

ポイントは「菊花」というワードである。菊の花は菊門、菊座といったワードもあるように、アナルセックスやゲイの象徴として見られることもある。そのため、再開の日が菊の節句であること、タイトルが「菊花の契(菊花の約)」であることから、本作は同性愛を意図した物語だと今日では考えられている。

「青頭巾」は旅の禅僧がある家に宿を頼んだ折、近くの山の寺に住む鬼になった住職の話を聞き、その住職の邪念を祓いにいく話。宿の主人によれば、その住職は寵愛していた召使いの美しい少年を亡くしたことで、深い悲しみのあまり鬼になってしまったのだという。

この作品は「住職」の同性愛を描いている。住職は少年の遺体を葬ることなく抱きしめたり、愛撫したり、果てには肉を食べて骨をしゃぶり、少年のからだを食べ尽くしてしまったというエピソードもあり、住職の少年に対する激しい性愛が感じられる物語といえる(遺骨を食べる「骨噛み」という行為は昔から日本で深く愛した故人と一体になる目的で行われた)。

シェイクスピア『ソネット集』

四大悲劇などで知られる最も有名な英文学劇作家のシェイクスピアは詩人でもあり、中でも『ソネット集』は代表作として屈指の評価を得ている。

全154篇の詩集となっており、一連のソネット(十四行詩)の大半は、一人の美男子への愛が語られている。ソネット1番〜17番では結婚して美しい子供を作ることを美男子へすすめているだけだが、18番からうって変わり、美男子に対する情念の表現が直接的になるのが特徴。

出版されたのは1609年。出版経緯は明らかになっておらず、そもそもシェイクスピアが書いたものなのかどうかを疑う声も、古くから研究者の中で上がっている(もともとシェイクスピアは人物像が謎めいており、本当に「シェイクスピア」という一人の人間が全著作を行ったのかを問う議論が18世紀から展開されている)。

トーマス・マン『ヴェニスに死す』

ノーベル文学賞(1929年)を受賞したドイツ人作家トーマス・マンの中編小説(1912年刊行)。

ドイツの都市ミュンヘンで暮らす有名作家グスタフ・フォン・アッシェンバッハは、執筆の静養中、異国への憧れを持ち、イタリアへと旅する。その際、ヴェネツィアのホテルで目にしたポーランド人家族の息子の美しさに惹かれ、その少年の後をつけるようになる。アッシェンバッハは美少年への情熱からヴェネツィアを離れられずにいたが、その時ヴェネツィアにはコレラの脅威が迫っていて……というのがあらすじ。

この話は著者自身の体験をもとにしている。トーマス・マンは実際に本作執筆前にヴェネツィアを訪れており、ポーランド人の美少年に目を奪われたあと、帰国して本作を著した。トーマス・マンは当時から結婚していて妻も子供もいたが、同性に対する並々ならぬ興味があったことは、本作と本作に並ぶ中編の代表作『トーニオ・クレーガー』からもうかがえる(『トーニオ・クレーガー』の主人公は同級生の少年に恋をする)。

ちなみに、日本の男色小説の書き手として最も有名な三島由紀夫は、トーマス・マンに大きな影響を受けている。

谷崎潤一郎 『卍』

多くの著作を通じ、女性への愛を耽美的に描いたことで知られる谷崎潤一郎の長編小説(初出は1928年)。

若妻・園子は、美術学校で出会った光子と性的な関係を結ぶ。しかし光子は他の男性とも交際しており、男性の策略によって園子と光子の関係が絶たれようとする。園子と光子はある計画によって心中を装い、男性から逃れるが、その後園子の夫も光子と関係を持つようになり……という話。

タイトルの『卍』は本作の登場人物たちが織りなす「二重の三角関係」を幾何学的に表したもので、複雑な関係性がからみ合う濃密な愛憎劇が描かれているのが特徴。

三島由紀夫『禁色』

『仮面の告白』など、男性の同性愛を描く作品を複数著したことで知られる三島由紀夫の「20代総決算」の長編小説。

本作は意中の女にことごとく去られてきた老作家が、同性愛者である美しい顔と肉体を持った青年を操り、自分を裏切った女たちに復讐する話。「ゲイバー」や「ゲイ・パーティ」など、当時(初出は1951年)の日本ではまだそこまで認知されていなかったゲイ風俗のワードが出てくる点も特徴。

三島の男色小説の特徴は、ぼんやりとゲイであることを「におわす」のではなく、はっきり「男色」として書いていること。カミングアウトこそしていないが、その作風や、数々の逸話により、現在ではほぼ同性愛者だったことが確定的にみられている三島由紀夫。そんな三島が『仮面の告白』や『禁色』のような「あけすけな」男色小説を書くことは、自己を追求する文学者として目をそらせないテーマである反面、並々ならぬ勇気が必要だったのではないだろうか。

チャック・パラニューク 『ファイト・クラブ』

ブラッド・ピット主演で大きな話題となった映画の原作小説。正直これを同性愛の物語といっていいものかわからないが(著者はゲイを公言しているが、それだけでこの作品がゲイを描いたものと考えるのは短絡的だ)、「男同士のロマンス」を強く描いたという点では、キスシーンや性行為がないだけで、十分に「性愛的」に見える。この作品では、単に「男同士の熱い友情」にとどまらない、それ以上の性的ななにかが描かれているように筆者には思えるのだ。

本作は仕事や家具収集に人生を奪われかけている慢性不眠症の〈ぼく〉が、奇妙な友人タイラーとの交流を通し、殴り合いの世界に生の喜びを見いだそうとする話。資本主義社会のなかで見失った自己を暴力によって取り戻すという非常に男性的なテーマが本作の根底にある。

綿矢りさ『生のみ生のままで』

女性同士の情熱的な恋を描いた2019年刊行の本作。互いに男性の恋人がいるにもかかわらず、デート先で訪れたリゾートでの出会いをきっかけに強烈に惹かれ合い、身体と心のおもむくまま求めあう逢衣と彩夏。逢衣は最初不愛想な彩夏を「お姫様体質の美人」というふうに評し警戒するが、帰りの山道で雷雨に見舞われ、恋人の男たちが助けを呼びにいき、二人きりになったところから、急速に二人の間の距離が縮まっていく。

この小説の特徴は王道的な恋愛小説のスタイルをとっていること。第一印象最悪の二人が出会い、その後発生するアクシデントで吊り橋効果的に惹かれ合う構図は、「コテコテ」ともいえるくらいの筋書きだ。本作は女性の同性愛を描いているため、通俗的な恋愛小説の枠には収まらない。だが、本作はあくまでも(当人の性別が何であろうと)「人」と「人」が惹かれ合い、結ばれ合おうとするさま――つまり「恋愛」を鮮烈に描いた小説なのである。

アンドリュー・ショーン・グリア『レス』

売れないゲイ作家アーサー・レスが、以前の恋人の結婚式に出たくないあまり、世界中の文学イベントをめぐる旅に出る……というのがあらすじのユーモアあふれる本作。

2018年のピュリッツァー賞 フィクション部門を受賞しており、社会・政治色の強い真面目な作品が受賞することが多かった本賞では、かなり珍しい作風となっている。

タイトルと主人公の名前に使われている「レス(less)」は「より少ない」を意味する英語。作家としても売れず、ゲイとしても結婚できず、そのわりに白人アメリカ人男性というステータスを持っているため、マイノリティとしても中途半端という、なんとも微妙な立ち位置にいる主人公の状態を的確に表したワードといえるだろう。

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